日清戦争と軍医森鴎外—『明治二十七八年役陣中日誌』を中心として(中古品)
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日清戦争と軍医森鴎外—『明治二十七八年役陣中日誌』を中心として
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森 富: author;
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内容紹介 祖父・鴎外の日清戦争時の事跡を検証! 日清戦争において軍医森林太郎(鴎外)は、明治27年(1894)9月に中路兵站軍医部長として朝鮮へ出征、一時帰国後同年10月、第二軍兵站軍医部長として清国へ、更に台湾へと出征する。本書は同じ医学者である著者が、祖父・鴎外の事跡を資料『明治二十七八年役陣中日誌』(大本営野戦衛生長官部)を拠り所に新しい解釈を試みるものである。著者初めての鴎外に関する研究書。 抜粋 停年を迎えたのは昭和六十年の春であった。その停年まで数カ月という、前年の秋頃であった。医学図書館の三階、南東の隅の書架に古びた仮綴じの、やや厚い三冊の本を見かけた。背には筆太の手書きで『明治二十七八年役陣中日誌、上、中、下』とあった。三十数年もの間、医学図書館書庫での検索は日常化していながら、見た覚えのないものであった。 手にとってみると、日清戦争の時に大本営野戦衛生長官部(長官石黒忠悳軍医総監)、つまり陸軍衛生部の戦時の最高司令部と、全陸軍の衛生部との間の日々の命令、指示、報告など往復の文書、電報などを記録したものであった。交信の相手には、戦争の初期に、朝鮮半島を経て清国に向かった第一軍の補給路としての中路兵站の軍医部長として、その後、遼東半島に上陸した第二軍の兵站軍医部長として従軍した軍医森林太郎も頻繁に見出される。日清戦争での鴎外の行動は、その細部まですべて分かっているわけではない。『鴎外全集』には森軍医自身の石黒長官への報告、「中路兵站軍医部別報」「第二軍兵站軍医部別報」があるが、これは活動のすべてを記述するものではない。しかし、その『陣中日誌』では、兵站軍医部々員の配置替えや任免、兵站の指揮官である兵站監への連絡、軍軍医部長への命令、指示なども記録されている。そこには軍医森林太郎の朝鮮、清国での行動を裏付ける公的な記録があることが期待され、それはまだ一般に広く知られてはいない。 興味というか、関心は少なからずそそられた。しかし、その時、すぐにそれに投入する気はなかった。講義も研究も続行中であった。講座主任としての業務もあった。すべては停年の後のこと、と心に決めた。だいたい、ふだんは殆ど意識しないながら、鴎外という名が心のどこかに、ある重みを以て存在することに気付く、というのは快いとはいえなかった。なるべくは避けていたい、という気があった。 停年を迎えても以前からの宮城教育大学などでの講義は続いていた。新たに岩手医科大学での医学概論の依頼がきた。これは教養課程で哲学担当の石渡隆司教授との合同、時には教壇に並んでの相乗りでしようというので、気が抜けなかった。 しかし、宿題であった『陣中日誌』の解読も始めた。最初は釜山の中路兵站監部に赴任した鴎外の「中路兵站軍医部別報」との照合である。読み始めてみると、考えられないような当時の状況が記されていた。陸軍での決定的な軍医の不足である。そのため、師団野戦病院を定数の半分以下にするとか、後備歩兵大隊附軍医は定員二名のところを一名配属し、一名は欠員にしておくとか、さらに、海軍軍医候補生のうち十名を陸軍三等軍医に任用するという応急策がとられた。また、民間から多数の医師や薬剤師を雇い入れた。彼等は朝鮮半島や遼東半島の兵站病院や患者収容所で傷病兵の医療に当たった。 鴎外が赴任した釜山の中路兵端監部に内地から九月に兵站病院要員として派遣されてきた医員も、軍医(少佐相当)一名、ほかは雇医師五名であった。鴎外は現地で釜山共立病院の医師二名を雇い入れた。 この鴎外の中路兵站軍医部長としての勤務に関する報告は、昭和六十一年一月に発表することができた(『鴎外』第三十八号、森鴎外記念会)。これが私が祖父鴎外について発表した最初である。 その後、第二軍兵站軍医部長として遼東半島から山東半島威海衛攻撃への参加までを五回に分けて書いた。第二軍の遼東半島花園口への上陸は明治二十七年十月の末、山東半島の攻撃は翌年一月であった。従ってこの時の大きな問題は寒さへの対策であった。凍傷は重傷で、特に従軍人夫に多発した。問題は防寒衣ばかりでなく、水筒にもあった。当時はガラス製であったので、衝撃ばかりでなく、凍結による破裂もあった。鴎外は素材をアルミニウムにすることを提案する。 この日誌の解読には、『明治二十七八年戦役陸軍衛生事蹟』四巻の詳細な記録を参照する必要があった。かつて自衛隊衛生学校長を勤めた同級生泉将君の紹介により、同校所蔵の同書を再々、長期間利用できたのがこの作業を可能にした。その後、常に好意ある配慮をして下された歴代の校長に厚く御礼を申したい。 現在、私は思いがけない縁で身近になった林太郎の末弟、潤三郎の江戸期の蔵書家についての考証学者としての仕事を訪ねている。兄鴎外林太郎は、虚弱で年の違う末弟のこの方面の仕事を暖かい目で見ていたからである。これは長くかかりそうである。(本書「すべては停年の後のこと----あとがきに代えて」より) 著者について 森 富(もり とむ):1921(大正10)年生まれ。森鴎外の長男於菟の次男で、「富」の名は鴎外の命名。1944年東北帝国大学医学部(解剖学専攻)卒業。その後、陸軍軍医として原爆投下直後の広島で被爆者の救護活動をする。1961年から1985年まで東北大学医学部教授、1990年から1994年まで仙台大学の学長を務める。1995年勲二等瑞宝章受章。東北大学名誉教授。2007年9月逝去。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 森/富 1921年(大正10)年生まれ。1944年東北帝国大学医学部(解剖学専攻)卒業。その後、陸軍軍医として原爆投下直後の広島で被爆者の救護活動をする。1961年から85年まで東北大学医学部教授、1990年から1994年まで仙台大学の学長を務める。1995年勲二等瑞宝章受章。東北大学名誉教授。2007年8月31日逝去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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日清戦争と軍医森鴎外—『明治二十七八年役陣中日誌』を中心として
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